行李のなかに眠っていた記憶 ― ある遺品整理のご依頼から
先日、青森市内にお住まいのお客様より、遺品整理のご依頼をいただきました。
ご自宅の一室に長い年月をそっと過ごしてきた行李が二つ。蓋を開けてみて、思わず息を呑みました。
そこにはご家族が大切に、本当に大切に守り続けてこられた「時間」が、静かに折り重なっていたからです。
一つ目の行李には、戦地へ赴かれたご親族の書き物や写真、そしてご家族へ宛てた手紙の数々。墨の色はやや褪せていても、一字一字に込められた想いは、時を越えて見る者の胸にまっすぐ届いてくるようでした。
薄い紙にびっしりと書き記された文字。 便箋の端に残るほんのわずかな折り皺。 色褪せた封筒の差出人の名前。
それらはもうただの「古い紙」ではありません。生きた人の息づかいそのものでした。
大切にされてきたものたち
もう一つの行李には、ご親族が生前に愛おしまれていたお人形や置物がていねいに納められていました。
赤く可愛らしいお人形。帽子をかぶった洋装の女の子。小さなくまのぬいぐるみ。木彫りの置物。
どれもこれも長い年月のあいだ、誰かの手に取られ、誰かの目に映り、誰かの暮らしに寄り添ってきたものたちです。
女の子の表情はどこか穏やかで、どこか寂しげで、どこか誇らしげでもありました。
「これらを、供養してから処分していただきたいのです」
ご依頼主様からのお言葉は、とても静かで、しかし揺るぎないものでした。
ただ捨てるのではない。 ただ片づけるのではない。
亡き親族が大切にしてきたものに対してきちんと手を合わせ、感謝と祈りを捧げたうえで、その役目を終えていただきたい ― その真摯なお気持ちが、痛いほどに伝わってきました。
天台宗のお寺へお預けして
お預かりしたお品々はそのままの姿で、天台宗のお寺へ供養をお願いいたしました。
行李ごと、そっと、そっと。
中のものを取り出して仕分けることも、無造作に袋に詰め替えることも、いたしませんでした。ご依頼主様のお気持ちを思えば、それが当然のことと感じたからです。
お寺のご住職がひとつひとつに向き合い、手を合わせ、読経をあげてくださる。その光景を想像するだけで、この行李に眠っていたものたちがようやく静かな旅路に就けるのだと、こちらまで胸が熱くなりました。
亡き人に敬意を払うということ
今回のご依頼を通じて、私は深く感じ入ることがありました。
それはご依頼主様が亡きご親族に対して払っておられる「敬意」のあり方です。
戦争という時代を生き、家族のために手紙を書き、人形を慈しみ、やがてこの世を去っていかれたご親族。その方が遺されたものを、邪魔なものとして処分するのではなく、命あるもののように供養し、心からの感謝を捧げてお別れする。
そこには家族の絆の深さと、祖先への揺るぎない尊敬が、まっすぐに立ち上がっていました。
モノはいつかその役目を終えます。 けれどモノに宿った想いは、丁寧に送り出されることでようやく安らかな場所へと還っていける。
私たちはそう信じています。
もしご家族が遺されたものの処分にお悩みでしたら、どうか焦らずそのお品々と向き合う時間を持ってあげてください。供養という選択肢があります。きちんとお別れをするという方法があります。
亡き方への敬意は形を変えて、必ず遺された方々の心の支えになってくれるはずです。
